地震
2011年 03月 16日
被害に遭われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。
節電が叫ばれている中です。
こんなことしていていいのかな…という気持ちもありますが
すでに充電済みのPCで更新します。
記憶が薄れないうちに、起こったことを書き留めておきたいのです。
忘れたいけど、忘れちゃいけないことだと思うから。
***
3月11日 14:30頃
仕事が休みだった私はキッチンで常備菜作りをしていました。
14:46、みしっ…という不気味な音のあと揺れが始まりました。
最初は、結構大きいな…と思いつつ食器棚の扉を抑えていましたが
尋常じゃない揺れになったのでそこを離れました。
離れてすぐに食器棚の扉が開き、中の食器が全て飛び出し
もの凄い音をたてて床に叩きつけられ割れていきました。
動揺した私は携帯電話を握りしめ靴下のまま玄関の外に飛び出し、
揺れが収まったころ実家の母から電話が。
しばらく車の中にいたほうがいい、と言われ、
一旦家に入り、液晶TVを転倒防止のため床に倒し
PC・カメラ・炊飯器など動かせる家電を安全な場所に移動し
携帯と鍵だけ持って車に逃げました。
ラジオをつけると三陸沖で非常に大規模な地震が発生したと。
私の住む千葉県北西部は震度6弱を観測。
これは長期戦になる、ということがわかり
隙をみて家に入り、貴重品と携帯電話の充電器を持って再び車に戻ろうとすると
トイレのタンクから水が溢れていました。
水道局の説明書を見てもよく分からず、元栓を閉めようにも分からず
マンションの下の階の方に聞いても分からず…
その間にもどんどん水が溢れ、床がびしょびしょになっていて
このままでは真下の住民の方にも影響が…と焦りました。
とにかく止める方法が分からないので、家のすぐ近くの管理不動産に行こうと
自転車にまたがったときに、ずっと繋がらなかった旦那ちゃんから電話が!!
「無事か?!」の声にホっとして腰がぬけました…。
すぐに状況を説明すると、凄く落ち着いた声で指示をくれ
言われた通り100円玉である部分を閉めると、水はあっさり止まりました。
海浜幕張のホテルで会議中だった旦那ちゃんは、近くの大きな公園に避難していました。
電車は壊滅状態だったので会社から迎えの車が来てくれるが
道が混乱しているし、女性優先で乗せるから何時になるかわからない。
とりあえず車の中にいてくれとのことでした。
この様子では多分、今日中には会えないだろうな。
車の中で夜を明かすことになるだろう、とぼんやり思いながら
車内でTVを見ていると、お義母さんから電話が。
彼の家族もみんな無事だということが分かり、安心したら初めて涙がでました。
「旦那ちゃんも無事です。私は車の中にいます」と言うと
「ミっちゃん、そのマンションは鉄骨の造りで崩れたりすることは多分ないと思うから
もう少し落ち着いたら部屋に戻りなさい。夜暗くなって車にいるほうが心配よ。」
と言って下さり、その言葉で少し冷静になれました。
そのとき時刻は17:30過ぎ、家に入ろうと車を出ました。
でも家の中は食器の破片も飛び散りぐちゃぐちゃだし、
ひとりで居たくないなと思っていたら、
比較的被害の少なかった同じマンションの2階の方が声をかけて下さり、
その方のお宅に4人ほど集まって避難させてもらいました。
こんな非常事態なのに温かく迎え入れてくれて飲み物を下さり
ひとりじゃないって本当に有難いと感じました。
そのとき、電気は通っていたけどガスは止まっていました。
ガスは多分、地震の揺れで安全装置?が作動して使えなくなったのだと思います。
電話も通じにくくなっていましたが、docomoは比較的繋がりやすかったように思います。
au・softbankは全くと言っていいほど繋がりませんでした。
21:00頃、旦那ちゃんに電話すると、今やっと車に乗れて
会社に戻っている最中だけど、物凄く混雑していて
通常20分のところ2時間ほどかかる…とのこと。
一緒にいたみなさんの旦那さんも歩いて帰っている最中だったり
会社に泊まると連絡があったりしました。
22:00頃、少し落ち着いてきて何か食糧を買いに行こう、と
近所のコンビニに行くと奇跡的に開いていました。
が、おにぎり・サンドイッチ・弁当・パンは全て売り切れ
カップラーメンと飲み物を買って帰りました。
コンビニからの帰り道、旦那ちゃんから家に着いたと連絡が入り
走って家に向かうと、かなりやつれた様子でしたがケガもなく。
無事で本当に良かった…。
旦那ちゃんは家の中を見て、「これは想像以上だな…」と驚いたのもつかの間、
ライフラインに関わる仕事をしているので
すぐに会社に戻る。今日は帰れない、とのこと。
このときほど、行ってほしくないと思ったことはありません。
旦那ちゃんも、今日ほど自分の仕事を嫌だと思ったことはないと。
同じように、傍にいて守りたい家族がいるだろうに
それでも仕事に行かなければならない人たち。
本当に大変でいたたまれない想いだろうと感じました。
「絶対かえってくるから。また後でね」と言って
上着だけ着替えて車ですぐに出て行ってしまいました。
とにかく無事で帰ってきてね、と強く強く願いました。
その後、私はまたさきほどのお宅にお邪魔し、こちらは電気ポットがあったので
それをお借りしてカップラーメンを食べることができました。
普段はほとんど食べることのないカップめん。
本当においしかった。
23:00頃、明日からの業務に備えて今日は帰宅していいことになったと
旦那ちゃんから連絡がありました。
00:00頃、帰宅した旦那ちゃんもカップラーメンをごちそうになり
自分たちの部屋に戻りました。
それから朝の4:00まであちこちに飛び散った食器の破片やら
全ての物が落ちて掻き混ぜられた様な状態になったクローゼットやらを片づけました。
旦那ちゃんはトイレの水漏れを直して
ガスも使えるようにしてくれました。(詳しいことは全く分かりませんが)
私ひとりじゃ本当にどうにもならなかった。
本当に心強かった。
疲れきっている中サクサク動いてくれて、本当にありがとう。
その後の仕事に備えて仮眠をとってもらい
私はどうしてもお風呂に入りたくて、お湯を張って入りました。
お風呂から出て、長い一日だった…とTVを点けると、信じられない映像の数々。
被害はどんどん広がり、今日に至ります。
***
大きな余震が断続的に続くのでその度にビクビクしてしまい、
地震から丸2日間一睡もできませんでした。
地震発生から今日で5日。
少しずつ落ち着きを取り戻し日常に戻りつつあります。
東京電力の計画停電が実施されるとのことですが
毎日、これから停電になります、と市役所から放送が入るものの、
私の住む地域では未だ一度も停電になっていません。
しかしその影響で電車は一時不通
(現在は7割ほどの間隔で運行している線が多いようですが)
飲食店は閉めているところが多く
スーパー等も時間を大幅に短縮して営業しています。
何より、お店にものがありません。
食料品・日用品については
地震発生翌日にはカップめん・パン類が全くなくなり
水やお米も売り切れが相次いでいて
魚や肉などの生鮮食品もほとんどありません。
トイレットペーパー、ティッシュペーパー・ガソリン・灯油もありません。
電気屋に行ったら
懐中電灯・乾電池・卓上コンロ・携帯ラジオなど、売り切れでした。
これらは私の家の近隣の印象ですが、都心部は品薄状態がもっと酷いようです。
異常事態に、みんなが冷静でいられなくなっていると感じます。
***
コツコツ集めてきたお気入りの食器達がすべて粉々になり、がっかりしていましたが
連日の報道を観ていると、温かい部屋でごはんが食べられ、
お風呂にも入ることのできる私は本当に幸せ者です。
本当に微力すぎて歯がゆい思いでいっぱいですが
節電・節水に努め、無駄な買いだめをやめ
これ以上被害が広がらないよう、
少しでも早く少しでも多くの人に安心で安全な環境が整いますよう
祈るばかりです。
そして今回の地震で一番感じたこと。
自分の防災意識の低さ。
防災グッズの用意をし、家族ともしものときの避難場所を確認すること。
家具・家電の転倒防止措置(手軽なグッズがたくさん売っています)
食器棚やキッチンの吊り戸棚の扉のストッパーの設置…などなど
やらなければやらないこと、やれることはたくさんあると感じました。
災害はいつ、誰の身に起こるか分かりません。
いつかではなく、今、出来る対策をしてください。
その行動が自分や大切な人を守ることに繋がります。
心の底からお願いします。
節電が叫ばれている中です。
こんなことしていていいのかな…という気持ちもありますが
すでに充電済みのPCで更新します。
記憶が薄れないうちに、起こったことを書き留めておきたいのです。
忘れたいけど、忘れちゃいけないことだと思うから。
***
3月11日 14:30頃
仕事が休みだった私はキッチンで常備菜作りをしていました。
14:46、みしっ…という不気味な音のあと揺れが始まりました。
最初は、結構大きいな…と思いつつ食器棚の扉を抑えていましたが
尋常じゃない揺れになったのでそこを離れました。
離れてすぐに食器棚の扉が開き、中の食器が全て飛び出し
もの凄い音をたてて床に叩きつけられ割れていきました。
動揺した私は携帯電話を握りしめ靴下のまま玄関の外に飛び出し、
揺れが収まったころ実家の母から電話が。
しばらく車の中にいたほうがいい、と言われ、
一旦家に入り、液晶TVを転倒防止のため床に倒し
PC・カメラ・炊飯器など動かせる家電を安全な場所に移動し
携帯と鍵だけ持って車に逃げました。
ラジオをつけると三陸沖で非常に大規模な地震が発生したと。
私の住む千葉県北西部は震度6弱を観測。
これは長期戦になる、ということがわかり
隙をみて家に入り、貴重品と携帯電話の充電器を持って再び車に戻ろうとすると
トイレのタンクから水が溢れていました。
水道局の説明書を見てもよく分からず、元栓を閉めようにも分からず
マンションの下の階の方に聞いても分からず…
その間にもどんどん水が溢れ、床がびしょびしょになっていて
このままでは真下の住民の方にも影響が…と焦りました。
とにかく止める方法が分からないので、家のすぐ近くの管理不動産に行こうと
自転車にまたがったときに、ずっと繋がらなかった旦那ちゃんから電話が!!
「無事か?!」の声にホっとして腰がぬけました…。
すぐに状況を説明すると、凄く落ち着いた声で指示をくれ
言われた通り100円玉である部分を閉めると、水はあっさり止まりました。
海浜幕張のホテルで会議中だった旦那ちゃんは、近くの大きな公園に避難していました。
電車は壊滅状態だったので会社から迎えの車が来てくれるが
道が混乱しているし、女性優先で乗せるから何時になるかわからない。
とりあえず車の中にいてくれとのことでした。
この様子では多分、今日中には会えないだろうな。
車の中で夜を明かすことになるだろう、とぼんやり思いながら
車内でTVを見ていると、お義母さんから電話が。
彼の家族もみんな無事だということが分かり、安心したら初めて涙がでました。
「旦那ちゃんも無事です。私は車の中にいます」と言うと
「ミっちゃん、そのマンションは鉄骨の造りで崩れたりすることは多分ないと思うから
もう少し落ち着いたら部屋に戻りなさい。夜暗くなって車にいるほうが心配よ。」
と言って下さり、その言葉で少し冷静になれました。
そのとき時刻は17:30過ぎ、家に入ろうと車を出ました。
でも家の中は食器の破片も飛び散りぐちゃぐちゃだし、
ひとりで居たくないなと思っていたら、
比較的被害の少なかった同じマンションの2階の方が声をかけて下さり、
その方のお宅に4人ほど集まって避難させてもらいました。
こんな非常事態なのに温かく迎え入れてくれて飲み物を下さり
ひとりじゃないって本当に有難いと感じました。
そのとき、電気は通っていたけどガスは止まっていました。
ガスは多分、地震の揺れで安全装置?が作動して使えなくなったのだと思います。
電話も通じにくくなっていましたが、docomoは比較的繋がりやすかったように思います。
au・softbankは全くと言っていいほど繋がりませんでした。
21:00頃、旦那ちゃんに電話すると、今やっと車に乗れて
会社に戻っている最中だけど、物凄く混雑していて
通常20分のところ2時間ほどかかる…とのこと。
一緒にいたみなさんの旦那さんも歩いて帰っている最中だったり
会社に泊まると連絡があったりしました。
22:00頃、少し落ち着いてきて何か食糧を買いに行こう、と
近所のコンビニに行くと奇跡的に開いていました。
が、おにぎり・サンドイッチ・弁当・パンは全て売り切れ
カップラーメンと飲み物を買って帰りました。
コンビニからの帰り道、旦那ちゃんから家に着いたと連絡が入り
走って家に向かうと、かなりやつれた様子でしたがケガもなく。
無事で本当に良かった…。
旦那ちゃんは家の中を見て、「これは想像以上だな…」と驚いたのもつかの間、
ライフラインに関わる仕事をしているので
すぐに会社に戻る。今日は帰れない、とのこと。
このときほど、行ってほしくないと思ったことはありません。
旦那ちゃんも、今日ほど自分の仕事を嫌だと思ったことはないと。
同じように、傍にいて守りたい家族がいるだろうに
それでも仕事に行かなければならない人たち。
本当に大変でいたたまれない想いだろうと感じました。
「絶対かえってくるから。また後でね」と言って
上着だけ着替えて車ですぐに出て行ってしまいました。
とにかく無事で帰ってきてね、と強く強く願いました。
その後、私はまたさきほどのお宅にお邪魔し、こちらは電気ポットがあったので
それをお借りしてカップラーメンを食べることができました。
普段はほとんど食べることのないカップめん。
本当においしかった。
23:00頃、明日からの業務に備えて今日は帰宅していいことになったと
旦那ちゃんから連絡がありました。
00:00頃、帰宅した旦那ちゃんもカップラーメンをごちそうになり
自分たちの部屋に戻りました。
それから朝の4:00まであちこちに飛び散った食器の破片やら
全ての物が落ちて掻き混ぜられた様な状態になったクローゼットやらを片づけました。
旦那ちゃんはトイレの水漏れを直して
ガスも使えるようにしてくれました。(詳しいことは全く分かりませんが)
私ひとりじゃ本当にどうにもならなかった。
本当に心強かった。
疲れきっている中サクサク動いてくれて、本当にありがとう。
その後の仕事に備えて仮眠をとってもらい
私はどうしてもお風呂に入りたくて、お湯を張って入りました。
お風呂から出て、長い一日だった…とTVを点けると、信じられない映像の数々。
被害はどんどん広がり、今日に至ります。
***
大きな余震が断続的に続くのでその度にビクビクしてしまい、
地震から丸2日間一睡もできませんでした。
地震発生から今日で5日。
少しずつ落ち着きを取り戻し日常に戻りつつあります。
東京電力の計画停電が実施されるとのことですが
毎日、これから停電になります、と市役所から放送が入るものの、
私の住む地域では未だ一度も停電になっていません。
しかしその影響で電車は一時不通
(現在は7割ほどの間隔で運行している線が多いようですが)
飲食店は閉めているところが多く
スーパー等も時間を大幅に短縮して営業しています。
何より、お店にものがありません。
食料品・日用品については
地震発生翌日にはカップめん・パン類が全くなくなり
水やお米も売り切れが相次いでいて
魚や肉などの生鮮食品もほとんどありません。
トイレットペーパー、ティッシュペーパー・ガソリン・灯油もありません。
電気屋に行ったら
懐中電灯・乾電池・卓上コンロ・携帯ラジオなど、売り切れでした。
これらは私の家の近隣の印象ですが、都心部は品薄状態がもっと酷いようです。
異常事態に、みんなが冷静でいられなくなっていると感じます。
***
コツコツ集めてきたお気入りの食器達がすべて粉々になり、がっかりしていましたが
連日の報道を観ていると、温かい部屋でごはんが食べられ、
お風呂にも入ることのできる私は本当に幸せ者です。
本当に微力すぎて歯がゆい思いでいっぱいですが
節電・節水に努め、無駄な買いだめをやめ
これ以上被害が広がらないよう、
少しでも早く少しでも多くの人に安心で安全な環境が整いますよう
祈るばかりです。
そして今回の地震で一番感じたこと。
自分の防災意識の低さ。
防災グッズの用意をし、家族ともしものときの避難場所を確認すること。
家具・家電の転倒防止措置(手軽なグッズがたくさん売っています)
食器棚やキッチンの吊り戸棚の扉のストッパーの設置…などなど
やらなければやらないこと、やれることはたくさんあると感じました。
災害はいつ、誰の身に起こるか分かりません。
いつかではなく、今、出来る対策をしてください。
その行動が自分や大切な人を守ることに繋がります。
心の底からお願いします。
by kitchen37 | 2011-03-16 11:40 | 私のこと